今考えてるけど言語化してる暇がない事。


ケータイ小説の読み手にとってケータイ小説にはリアリティがある→媒体=ケータイの画面に表示されている事それ自体がリアリティがあるという事なのでは? 俺が2chのレスの向こうに誰かの存在を感じる事があるように、ケータイの画面の向こう側にリアリティを持った他人の存在を感じているのでは?


・エロゲの文章は冗長性が高い、という感想→朝起きてから夜寝るまでが"ほぼ全て"描写されるという得意なメディアである為に起こる現象では? 登下校するシーンを10回以上描写するメディアは他には無いだろう→"期間"の概念があった頃に出来たフォーマットを踏襲しながら文章量=ボリュームが増大したために起こった?