今考えてるけど言語化してる暇がない事そのに。今日考えた事から一昨年くらいに考えた事まで。


・『扉の外』は"主人公が最終的に失敗する"という点でラノベとしては珍しい。少年少女向けのコンテンツは基本的に"成功する"コンテンツであり、ヲタク向けのコンテンツは基本的にハッピーエンド志向であるため。星の大地と対比してみると面白いかもしれない。地を駆ける虹もこの方向性か? 他に近い方向性の作品はあったか? 一般作ではそれほど珍しい傾向ではないが(最終的に主人公が破滅して終わりました、という作品は決して少なくない)。現段階では結論の方向性が不明確。


パルフェのカトレアは立ち位置・シナリオが少年漫画的である。恋愛物と言うよりはライバルとのバトル漫画の文脈で解釈可能。ピッコロ、ベジータ海原雄山ツンデレと評される事もあるので、案外優秀なツンデレキャラのシナリオとは少年漫画的なシナリオなのでは?


SWAN SONGの選択肢の傾向。終盤のピンポーン/ブッブーに目が奪われがちだけれども、実は序盤からその傾向はあり。1-4で武器を持っていかないとデッドエンド、2-7で突入しないとデッドエンド、等。そういえば4-1でtanomuraを選んだ場合は自分から攻めて生き残っていた。積極的に攻撃しないとデッドエンド、と言う法則が終始一貫している。これをどう解釈するか。


・概ねの場合において萌えはデータベースの参照によって成立する、という視点に立った時、某ボーカロイドAI止ま的な文脈かマルチ・セリオ的な文脈で理解されているのだろうか。まぁ、「とりあえず細かい設定はさておき、今は俺の隣にいますが何か?」という立場が大半なのかもしれない。やはりキャラクタ>世界設定の流れか?