最近のライトノベルは……(http://anond.hatelabo.jp/20070615020059)

繰り返すけど、ライトノベルの表紙を飾ってる絵師の絵のレベルが総じて低くなっているように感じているのは自分だけなんでしょうか。まず、基本的なデッサンがなってないというか、これを本当に流通させていいのか、ってレベルのイラストがある。そして、何と行っても没個性化がひどい。昔はもっと個性があって、絵師の顔ぶれも豪華で、表紙買いをする価値のあるライトノベルがたくさんあった。最近のはなんか、どこぞの三流エロゲー会社の原画家さんがかいたようなありきたりな絵ばっかりでまったくもって魅力を感じない。

 発端のエントリ。増田はこういう話題が出てくるから良いなぁ。
 で、増田内でも色々意見が出てまして、

数が増えれば、工業製品的に作らざるを得ない。イラストだってモノだから。
http://anond.hatelabo.jp/20070615025209

ただラノベでは、必ずしもウェルメイド(というかなんというか)な作品が評価されるとは限らないというか。
マンガで言えば「細部まで書き込まれた緻密な絵柄に伏線を張り巡らせた骨太な物語の作品」が人気あるとは限らない、みたいな感じでしょうか。
逆に、簡略な線で単純な話だったりしたほうが、人気出たりする。
そうした傾向を「悪い」と断じることはしたくないなぁと思うのです。
http://anond.hatelabo.jp/20070615114716

 バランスの問題。あるいは湯加減の問題かな?
 大型化、複雑化っていうのは一種畸形的な物でもありますしね。あとは短編長編の話とかにも還元出来るかも知れません。あるいはPS3とDSの話みたいな物かも。

上手い下手はともかく、見分けがつかなくなってきたなあ、とは思う
http://anond.hatelabo.jp/20070615115908

ただ、カバーイラストではなく中の挿絵を見る限り、びっくりするくらい上手くない(デッサンがおかしい、構図に工夫がない、カラー絵との整合性が取れてない、パースが狂ってる、引き絵が描けてない、描く大きさによって人物の頭身が変化してる、線の太さ・強弱を制御しきれていない、ペンタッチに工夫が乏しいので絵が平坦に見えるetc.)描き手さんが多いとは思う。少なくとも、あの絵のレベルで漫画作品を描いたとしても商業誌は無理だろうな…という感じ。
http://anond.hatelabo.jp/20070615173752

 確かに、素人目で見ても明らかにおかしいのもありますしね。いや指の数が6本になってるとかじゃなくてね。デフォルメとかそう言う次元じゃないくらい頭身が狂ってるやつとか。足が長すぎて12頭身くらいある表紙絵を見たことがあります。

元の増田じゃないけども
20年前のラノベで中心的に活躍してたと思われるイラストレーターをあげてみる
http://anond.hatelabo.jp/20070615191924

 このリストを見ると、なんか傾向が見えてくる気がしますが。
 すごく極端な例になりますけど、天野喜孝なんか実に分かり易いです。天野喜孝の絵はどんな話についても、まず最初に"天野喜孝の絵"になります。FFについても、グインサーガについても、絶対に"天野喜孝の絵"じゃないですか。持ってる世界が強すぎるというか。自己主張が激しすぎるというか。リストに名前の挙がってる人は、多かれ少なかれ、そんな印象のある人ばかりではないかと。


 で、増田の外に目を移しますと、最初のエントリを受けての、
 ライトノベルの挿絵は劣化したのか?(http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070615/p1)

 SFやミステリといったジャンル小説に比べて「何でもあり」だといわれるライトノベルですが、「かわいい女の子を出す」ことはもはや必須条件になっているのかも。
 もちろん、一概に悪いことだとは思わないし、「ライトノベルは駄目になった」とも思わない。むしろ、個人的な感覚でいうなら、個々の作品のレベルはむしろ向上しているような気がする。昔だってひどい作品はいっぱいあったよ?

 SFの条件が"科学的思考"であり、ミステリの条件が"謎とその合理的な解決"であり、ラノベの条件が"可愛い女の子"、って事なのかな。適当だけど。まぁこの手の定義論は荒れる上に結論は出ない、おまけに時代と共に変遷すると相場が決まっているので、流して下さい。


 で、そこから、
 最近のライトノベルは絵が下手なのか?没個性なのか?(http://d.hatena.ne.jp/kim-peace/20070615/p3)

上記文中にもあるように、たまたま今は特定の表紙パターンの爛熟期にあたるだけで、またいろいろと動きがあるんじゃないかと思います。表紙に人物がいない作品、文庫形態から抜け出す作品などなど。
現状の路線がここまで拡大したのは、それだけ支持されたということでもあるわけですから、そう簡単に変わらないとも思います。しかしそれでも「奔放な失敗作」が生まれる余地は残っていると信じているのです。

 ハイカルチャーあってのサブカル、メジャーあってのマイナー、という感じかな。固定化、停滞した時にこそ新しい流れというのは出来るんじゃないか、ということですかね?


 最近のライトノベルの挿絵について……と見せかけた別の話(http://maijar.org/?q=node/1586)

補足するべき事があるとすれば、なにかあっても「それは市場が望んだから」。

 出版は商売ですしね。売れなきゃ続きが出ないのは世の定めであるわけで。


 ライトノベルのイラストと装丁(http://d.hatena.ne.jp/c-pete/20070615/p5)

それと、ブックマークで指摘があるけど、エロゲの絵師さん使うと絵柄が似てくるかなあ、というのも同意。id:mizunotoriさんの「ライトノベル, イラスト, 増田 最近のは、「どこぞの三流エロゲー会社の原画家さん」がかいてるんだと思います、実際。」というのも同意(笑)。

 確かに同意w
 メリットは分かりますからあまり文句はないんですが。
 ・エロゲの売れ具合でそのイラストレータの人気がある程度予測可能=売り上げの予測が可能(あくまで予想、ですが)。
 ・エロゲンガーという実績有り(一定クオリティ以上、かつ様々な構図の絵を一定枚数以上書いているわけで。少なくとも、一枚しか絵がない状態で判断するよりも判断材料が多いです。実績=信頼。頼んだ絵が来なくて本が出せない、なんて事になる可能性は若干かも知れませんが下がりますよね)
 あと他にも細かいメリットはありそうですが。逆にデメリットはあまり無い気もします。


 最近のライトノベル絵師について(http://d.hatena.ne.jp/REV/20070615/p2)

人間原理、と、ボソっと言ってみる。

人間原理(にんげんげんり)とは、物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。"宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから"という論理を用いる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8E%9F%E7%90%86



 とりあえず目に付いた範囲でまとめてみた。
 だいたい皆似たようなことは思ってるのかな。楽観的or悲観的、言い方が激しいor穏やか、とかその程度の違いはあるようだけれども。大筋で合意しているように見える。メタに見てる人もいるみたいですけどw