なんとゆーか、「自分たちが必至に育ててきて、やっと豊かになった土地」を、イナゴの群れというか凶悪なモヒカン族というか地震雷火事親父のような天災というか、要するに強大な力を持った何か、あるいは押しとどめる事の出来ない大きな流れのような物に蹂躙されてしまうと思っていて、そして概ねそれは事実なんだろう。
 それは殺虫剤を撒こうと多少の武器をその手に取ろうと、どうにもならずどうにも出来ない物なのだ。抗おうにも、その力はあまりにも大きすぎて、一人や二人、あるいはもっと大勢の人間の手によってしてもどうすることも出来ないのだ。まさしく天災。あるいは人災。
 それでも、人は抗わざるを得ないし、そして無力に打ち倒されるのだ。
 SF者は今更しゃしゃり出るな、ハルヒだけでなくもっと他のラノベも読んでくれとラノベ読みは言い、萌えゲー純愛ゲーだけがエロゲーじゃないとエロゲーマーは言い、それはアニメーターの個性であってそう言うものも認めて欲しい、安易に作画崩壊と言うな、とアニメ好きは言うのだ。言わざるを得ないのだ。黙っていることなど出来ないのだ。それがどれほど無駄で無意味で、天に唾するような、あるいは風車に槍で立ち向かうような、そんな行為だと分かっていてもだ。
 イナゴの群れは豊かな畑を喰らい尽くし、モヒカン族は村の財産を全て奪い尽くし、火事は全てを焼き尽くし、津波は全てを押し流し、親父は不条理に何かを押しつけるのだ。最近はそうではないのかもしれないけれど。
 メタってもデカっても、留保のない生の肯定を!と叫んでも、"それ"がそんな物に耳を貸すわけがない。だって相手はそういう物だ。そんな声は蚊の羽音程度の――いや、それ以下の影響力しかない。耳に届くことすら少なく、届いたとしても気にかけられることもなく、最悪の場合は無情に叩き潰されそこで終了だ。

 そして、結局得られる物は諦念だけだ。
 諦め、あるいはスルー。嵐が過ぎ去るのをただじっと待つ。そんなことしか出来やしない。
 後に残されるのは、奪われ尽くされ、ペンペン草一本すら生えていない荒れ地になってしまった元・畑だ。怨嗟の声も嘆きの声も、悲しみの泣き声も、何処にも届かない。そんな物があることさえ気付かれず、踏み荒らされていくのだ。

 正しく諸行無常
 単に、風の前の塵に同じとはこの事か。