パシフィクス・スカイ





 空を切り裂いて駆ける。それはとても心踊ることだ。


 ――背部スラスタを最大限に使って加速する。
 戦闘機動。加速。全身にG。躊躇わず加速。身体の血が偏るのを感じる。さらに加速。加速、加速、加速。
 音速などとうに超えている。速度は既にマッハ3以上。パシフィクス;アカツキは大出力のスラスタを持ち、かつ高い機動性を持つ高性能機だが、流石にこの速度は限界域に近い。
ミカヅキ―アルファから各機へ。これより予定の訓練を開始する。ブラボー、チャーリー、用意はいいか。――行くぞ」
 十分な加速を取ったと判断したのか、隊長機の霧島から指示が出る。
「ブラボー了解」一緒に隊列を組んでいる瑞希が短く答える。
「チャーリー了解」と自分も短く答える。
 その声に一拍置いて、霧島機が右旋回降下。隊列を崩さないようについていく。
 高度がぐんぐん下がっていく。そしてさらに速度は上昇。動力降下。雲を抜け海が見えた、と同時に引き起こし水平飛行に。間髪要れず右ロールを入れ急旋回。右手右足、背部ウイング、機体各部を適度に動かし余計な慣性を殺す。急上昇、急旋回、急降下、宙返り。限界機動の中で隊列を崩さず、一定の距離を保ちながらついていく。
 人型のパシフィクスは戦闘を目的とした機械であり、空力を最優先に作られているわけではない。大気圏内の機動であるので、複雑な形状をした機体には複雑な空気抵抗がかかる。迅く精密な機動にはその抵抗を減らす必要がある。機体にマウントされている擬似人格AIは、その卓越した処理能力でサポートを行うが、最終的に重要なのはパイロットの腕だ。
 だからこうして訓練を行う。完熟飛行を繰り返し、総飛行時間を積み重ねていく以外に道はない。
「……くっ」
 僅かにアカツキが挙動を乱す。すぐに修正するが、霧島機との距離は開いてしまう。
「ここまでだ」
 霧島機が告げる。何とか元の隊列を組みなおそうとしたが、結局徒労に終わった。元々この訓練の目的は隊列を組んだまま機動し、それを崩さない事だ。遅れを取り戻すのではなく、遅れない事が重要なのだ。
「データは取った。1900からミーティングだ。以上、訓練終了。各機帰還」
「ブラボー了解」
「チャーリー了解」
 答えてふぅ、と息をつく。
 ヴン、と音を立てて通信ウインドウが表示される。瑞希機からだ。瑞希は笑顔で、
「いつき、おつかれー」
「うん。お疲れ」
「今日よかったじゃん。いままでで一番持った」
「……それでも全然ついてけてないよ」
 溜息をつく。瑞希と霧島の二人なら、今の訓練をさらに長時間続けていられるだろう。
「うーん。まぁ、頑張れ。あはは」
「……のーてんき」
 そう言うと、瑞希は困ったように笑う。昔からその笑い方は変わらない。
「――確かに、今日は良かった」
「あ、やっぱり? 霧島もそう思う?」
「記録を37秒更新した」
「ほら、やっぱり良かったってよ」
 瑞希は嬉しそうに笑う。表情は殆ど動かさないが、霧島も僅かに笑みを浮かべている。


 ――だから、思うのだ。自分の幸運なところであり不幸なところであるのは、幼なじみであり同僚でもある二人が、自分よりもよっぽど優秀な事だと。


 曖昧な笑顔で通信を打ち切って、半ばオートで機体を飛行させる。戦闘機動でなく、通常機動ならばAIに任せてしまっても問題はない。
 シートに深く腰掛け、全方位型モニタの映し出す映像をぼんやりと眺める。
 映るのは赤く染まる空、それに照らされて赤く染まる海と雲。そして編隊を組んで飛ぶ、赤より紅いパシフィクス。パシフィクス;アカツキを駆るミカヅキ小隊。実験部隊的な色が濃いとはいえ、周囲からはエリート部隊だと認識されている。部隊の二人のエースパイロット。そして一人のお荷物。
 親がいない自分たちにとっては、家族も同然の幼なじみ達。同じ資質を見出され、同じ場所で育ち、同じ訓練を受け、そして今はこんなにも差がついてしまっている。努力の差ではなく、才能の差だと言われてはいる。他の誰もが、他の二人が優秀なだけだという。自分も並以上の、いや、優秀なパイロットだと。が、それでもお荷物な事には変わりない。
 溜息をつく。自分だけがいる場所。たった一人用のコクピット。空の密室。誰とも触れ合う事が出来ず、一人になれるところ。通信だけが他人と繋がる方法だが、マイクの感度は下げてある。だから、この溜息が二人に聞こえる事はないはずだ。
 そして、機体が空気を切り裂いて発生させる衝撃波は、放たれた溜息を機体の外に伝える事はなく。溜息は誰にも聞かせずにその姿を消す。


 3機のパシフィクスが、夕焼けの空を飛んで行く。