愚痴だけでもアレなので
未完放置SSでも後悔してみますよ。CLANNAD杏SSです。
依存症/apricot holic
正直、きっかけが何だったのか今の今まで本気でよく分からない。というか、はっきり言って覚えていない。何でこうなったのかも分からない。どこで何を間違ったのか、それが全く分からない。
きっと、きっかけは大したことじゃなかったんだと思う。弁当の味付けが少ししょっぱかったとか、少し髪を整えたのに気付かなかったとか、待ち合わせの時間に少しだけ遅れたとか。たぶん、その程度のこと。
だから、
「ふんっだっ! もう知らないっ!」
「こっちだって知ったことかっ!」
「――なに? そういう言い方するんだ?」
「お前の知った事じゃないんだろ?」
「――そ」
「……ふん」
「いいの? 朋也はそれで?」
「いけないのかよ」
「なにそれ。なによその言い方」
「お前には関係ないらしいからな」
「あっそ。そういう言い方するんだ。人がせっかく聞いてあげてるのに」
「うるせ」
「なにそれ。なによそれ。信じらんない」
「あっそ。それで?」
「……」
「……」
「――っ! もう! 朋也のバカ! 大っ嫌い!」
「……痛ってぇ。何すんだ――」
――こんな事になるなんて思いもしなかった。
叩かれた頬がじんじんと熱を持っている。きっと、大きな紅葉が頬に張り付いているんだろう。鏡なんて見る気にもならなかったが。
しかし痛い。熱くて痛い。叩かれた直後はそれほどでもなかったのだが、そろそろ寝よう、という今になってじわじわと痛みが増してきていた。間の悪いことに、家の救急箱には湿布の一つも入っていない。
「痛ってぇ……」
愚痴て、仕方なく布団に潜り込む。
しかし、何でこんな事になったんだろう。自分の何が悪かったんだろう。今度からは何に気をつければ良いんだろう――
そこまで考え、いや違う、と朋也は首を振る。
自分はそんなに悪くない。そりゃ少しは悪い事をしたのかもしれない。杏の気に障ることをしたのかもしれない。でも、こうやって平手打ちをされるほどのことなんてしてないはずだ。だから悪いのは俺じゃない。謝るんなら、杏の方だ。杏が先に謝ってきたら、俺も謝っても良い。だから、杏が先に謝れば良いんだ。間違いなく。きっと、たぶん、もしかすると。もしかすると俺が悪かったのかもしれない。俺が我慢すれば問題なかったんだ、我慢し亜買った俺が悪いんだ。ああ、やっぱり俺が悪かったんだ。明日の朝一で謝ろう――許してくれなかったら土下座でも何でも――
「いや、そうじゃないだろっ!」
布団の中でセルフツッコミ。
これが体に染みついた条件反射という奴か、と考える。パブロフの犬。犬は可愛い、杏は怖い。藤林杏には絶対服従。いつの間にか自分から杏に謝って許して貰おう、などと考えてしまっていた。常日頃から杏に虐げられ――いやそうじゃなくて、調教され――でもなくて、えーと……。
とにかく、と気をとりなおし。
今のような弱気ではいけない。
悪かったのは自分ではないのだ。そのはずだ。
だから、自分から謝りに行く必要はないのだ。そうしたら負けなのだ。それが自分に残された最後の尊厳なのだ。
「よし! 寝る!」
無理矢理自分を納得させて、頭から布団をひっかぶり目を瞑る。
頬がじんじんして、なかなか寝れなかった。
「やぁ岡崎、っておい、どうしたんだよ。すごい顔してるよ?」
「……ん?」
次の日の休み時間。横からかけられた声に、朋也は顔を上げた。
声のかけられた方を見ると、さっきまで空席だった隣の席に金髪の童顔。
「ああ。……えと、誰だっけ……」
「ちょっと? それマジで言ってますかねぇっ!?」
「うるさいな。キレるなよ金髪」
「金髪言うなっ」
「だって金髪じゃん」
「そりゃそうだけど……って、そうじゃなくてっ! 名前っ!」
「ん。悪い悪い。えーと……」
「……」
沈黙。
朋也が普段は見せない、真剣な表情をする。
春原がゴクリと喉を鳴らす。
そして朋也はおもむろに口を開き、
「北川」
机をなぎ倒しながらヘッドスライディングでコケる春原。周囲から向けられる視線が痛い。が、今更周囲の視線など気にもしない。痛みに顔をしかめながら立ち上がり、
「違うっ! 僕アホ毛生えてないじゃんっ!」
「文句の多い奴だな……」
「当然の事だと思いますけどっ」
「しかもうるさいし……」
「あんたが叫ばせてるんでしょーがっ!」
「ちっ。わかった。えーと」
「……」
「……」
「……」
沈黙。
先ほどよりもさらに長い。
朋也の顔に緊張感が漂う。
春原の頬を汗が一筋伝う。
そして朋也は、やはりおもむろにその口を開き、
「南山」
きりもみしながら教室の床に再びダイブする春原。いわゆる"じぶんぎょらい"という奴である。
進路上の机をなぎ倒し、そのまま突き進んで教室の壁にぶち当たって止まる。露骨に迷惑そうな視線が向けられるが、無視。埃まみれ、痣まみれの満身創痍といった状態でよろよろと立ち上がり、
「誰だよそれっ!?」
「お前の名前じゃねーの?」
「ちーがーうーーっ!」
「じゃあ何だよっ!」
「しかも逆ギレっすか!?」
叫んで、一息。溜め息とも言う。
そして諦めたように、
「春原。春原洋平。ったく、なんでお前にこんな事言わなきゃならないんだよ……」
「……」
「? おい岡崎? どうした?」
「いや――。ああ、春原だよな。そうだよな、うん」
「ちょっとおまえ、どうしたんだよ?」
「いや、別に」
「おい岡崎。ほんと、マジでどうした?」
どこかぼんやりとした様子で答える朋也。
――これはさすがに様子が変だ。
違和感、などという生やさしいものではない。そう春原は感じた。
普段の朋也とは明らかに違う。
名前を呼ばなかったのは特におかしくない。というかこいつはもともとそういう酷い奴だ。それくらいのことが我慢できなければ、こいつと悪友はやってられない。
が、今の反応は明らかに変だ。
普段なら、
『ああ、すっかり忘れてた。わりーわりー』
とか、
『はじめまして、俺は岡崎朋也だ。で、お前の名前なんだっけ?』
とか、
『ふーん、あっそ。バイバイ』
とか、そういう白々しい反応をするのに。というか思い返すとこいつはマジで酷い奴だ。我ながらよく友達やってるよな、と春原は内心で汗を流しながら思う。
まぁ。それはともかく。やはり今のこいつは変だ。
「おい岡崎?」
「……なんだよ?」
「ちょっとこっち向けよ……って、ホントに酷い顔してるよ?」
「ん? そうか?」
「うん。ちょっと保健室行った方が良いんじゃない?」
「そっか、別に平気だけど」
「いや、マジで具合悪そうだって。顔色悪いし」
「単なる寝不足だから。大丈夫だ」
「いいから。付き添ってやるから保健室行こうぜ」
「……」
見つめる視線に、『ほら、僕も授業サボりたいしね』などと言いながら視線を逸らす。すこし照れているらしい。
朋也はそんな春原を少し見ていたが、
「いや、マジで大丈夫だから。授業中寝てたら治る」
「……そう? それなら良いんだけど」
そこでちょうどチャイムが鳴り、他の生徒達がばたばたと着席する。
続いて授業の詰まらないことで有名な中年の英語教師が入ってきて、さっそく授業の体勢にはいる。
そんな様子を眺めながら、春原は教科書もノートも出さずに(そもそも鞄の中にも机の中にも教科書は入っていない)朋也に小声で話しかける。
「ってかさ。寝不足だって言ってたけど、何で?」
言ってから、ああ、と気付いたようにわざとらしく手を打って、
「そっかー。あー、羨ましいなー」
「なにがだよ?」
「え、とぼけちゃって。コレでしょ?」
と、小指を立てて見せる。
そして人差し指と中指の間に親指を挟んだ握り拳を作り、ニヤニヤ笑いながら差し出してくる。
「……違う」
「あれ? 違うの? ぶっちゃけ、ヤルことやってて睡眠不足なんじゃないの?」
「……そうじゃない」
「じゃ、なにさ」
その問いに、朋也はしばらく迷うように、躊躇うように考え込んでから、
「夢見が悪かったんだ」
「夢?」
鸚鵡返しに聞き返す。
「ああ」
と、朋也は頷き、
「酷い夢でな。まず、砂漠に埋まってた女の子を助けたんだ」
「砂漠?」
「おう。ものすごく熱くてな。喉がもの凄く渇いてて苦しかったんだが、その女の子を助けるのに手持ちの水を全部飲ませたんだ」
「ふーん。可愛かった?」
「……ああ」
「なにその間。まぁいいや、それで?」
「で、その後その女の子に手を貸しながらしばらく歩いてたんだけどな。オアシスが見えた、って所で盗賊にあった」
「へぇ」
「ちなみに盗賊の親玉はお前の顔してて体はごつかった。正直キモかったぞ。こっちくんな。あっちいけ」
「おまっ……! ……で?」
「で、逃げようとしたんだが逃げられなくてな。もうだめだ、と思ったところでその女の子が巨大化した」
「……は?」
「相手の盗賊達も巨大化してな。足下の俺を無視して怪獣大決戦。女が盗賊Aにチキンウイングフェイスロック、盗賊BにジャイアントスゥィングからDDTを決めたところで、盗賊達が合体してキング盗賊になってな」
「……」
「ロープの反動を利用してのアックス・ボンバー、倒れたところにトップロープからのムーンサルトプレスであわやKOか、というところで女が三面六臂の阿修羅マン……じゃなくて阿修羅女に変身してな」
「……」
「キング盗賊に火事場のクソ力からのアルティメット阿修羅バスターで逆転勝利、マイクパフォーマンスで『俺さまが最強だ! 貴様らは屑だ! 口からクソたれる前と後に『サー』と言え! 分かったかこのウジ虫ども! 悔しかったらかかってこい!』。この暴言に観客席からスフィンクスとミノタウロスが乱入、それをもあっけなく撃破した阿修羅女の暴虐を見ていられなくなったのか、正義の味方のアンパン男が『オラわくわくしてきたぞ』と言いながらマントをなびかせてリングイン――したところで目が覚めた」
「……そ、それは大変だったね」
「ああ。嘘だけどな」
春原が椅子ごと転けて派手な音を立てる。そのまま一人ローリングクレイドルを決める。本来ならば相手の三半規管を痛めつける技だが、今この場では単に埃を巻き上げるだけに過ぎない。周囲から迷惑そうな視線が向けられるが、春原は気にした様子も無く起きあがり、
「嘘っすか」
「ああ。嘘だ」
「寝ます」
「おう。俺も寝る」
そうして二人とも揃って机に突っ伏した。
すぐに眠気が訪れる。朋也が寝不足なのは事実なのだ。
そして、夢の中に阿修羅女が出てきたのも事実だ。
そしてその顔が、杏の顔をしていたというのは誰にも言えない、と朋也は思った。助けた女の子は可愛かった。杏の顔をしているのだ、当然だ。阿修羅女は超怖かった。三面は怒りの顔と哀しみの顔だ。それも杏の顔だ。怖くないはずがない。正直な話小便漏らすかと思った。
そんなことを言ったら(特に本人に)夢以上の地獄絵図が展開されるかもしれない。
やはり、見た夢は悪夢なのだった。
さらに次の日。
春原が昼休みに学校に来ると、朋也はやはり調子悪そうな様子で机に突っ伏していた。
時折もぞもぞと動くだけで顔を上げようとしない。
もしかして4時間目、下手するともっと前からずっとこうしてるんじゃねぇの? と、春原は思った。
「おい、岡崎。大丈夫か?」
声をかけてみる。
「…………」
へんじがない ただのしかばねのようだ
ささやき − えいしょう − いのり − ねんじろ
** ともやはまいそうされます **
じゃなくって。
「おい岡崎。マジで大丈夫か?」
声をかけながら、軽く揺すってみる。
「おい、岡崎」
「……んあ?」
「お、おい……岡崎、大丈夫か?」
朋也は憔悴しているように見えた。
まず目の焦点が合っていない。肌にも髪にもハリとツヤがない。というか生気が感じられない。制服は(いつものことではあるが)しわしわだし、おまけに手がぷるぷると震えている。
「どうした春原、今日は沢山いるんだな?」
「……沢山?」
「おう、4人? それとも5人か?」
「いやそれ幻覚っすよっ! 岡崎ーっ!」
「うおぅぅぅぁぁああああぁぁぁぁ」
頭を抱えて呻く朋也。
「……頼むから叫ばないでくれ……頭が割れそうだ……」
「……ああ、ゴメン。分かったけど、さ」
戸惑う春原。
頭を押さえて未だにうんうん唸っている朋也に、
「おい、お前マジでやばそうだぞ? 保健室……いや、病院行った方が良いかも……」
「ダイジョウブダイジョウブ」
「いや、全然大丈夫じゃなさそうっすからっ」
「ダイジョウブダイジョウブ。ファイトファイト、たのしいネ」
朋也はうつろな目でのろのろとファイティングポーズを取る。
が、いいのをもらい過ぎてもはや立っているのがやっとのボクサーにしか見えなかった。
「岡崎ぃっ!」
涙目でタオルを投入するセコンドの春原。
「頑張らなくていい……もう頑張らなくていいんだ……。お前はよくやったよ……これだけ頑張ったお前を、もう誰も責めやしないさ……」
「やれる……俺はまだやれるよ……」
焦点の合ってない目で中空を見つめながら、朋也はうわごとのように呟く。
春原は朋也に肩を貸すようにして立ち上がり、
「い、今保健室に連れてってやるからなぁっ! それまで頑張れよぉっ!」
頑張らなくていいのか、それとも頑張るべきなのか、どっちなんだ、と誰かが思った。
5時間目の古文の授業中に、春原は教室に戻ってきた。
それを確認した藤林椋は、ルーズリーフを一枚取り出すとそれにさらさらと文字を書き付けていく。半分ほど書いたところで筆を止め、余った部分を定規でゆっくりと裂いていく。それを4つ折りにし、
「春原君にお願いします」
「ん」
後ろの席の女子Aに手渡した。
古典的な授業中の手紙である。
渡す方も渡される方も慣れたもの、動作は最小限で隙も無駄もない。当然、黒板に向かって板書を続ける教師にばれるはずもない。というか、そういった教師の注意の向かない隙を狙って手渡すのだが。
女子Aはこの手紙の中身に興味を持った。
何しろ、藤林椋から春原洋平に宛てての手紙である。藤林椋は手紙を中継することこそあるものの、自分から手紙を発信することは極端に少ない。それどころか、ほぼ0だと言っても過言ではないだろう。
そんな椋からの、しかもクラスの問題児の片割れ、春原に向けての手紙である。これが気にならないはずもない。
好奇心は猫をも殺す。その諺は知っていたが、だからといってわざわざ見過ごす筈など無い。ゴシップほど面白いことはないのだ。特に話題に飢えている学生達の間では。
渡された女子Aは折られた隙間からちらり、と中を覗き込んで、
「……?」
もの凄く微妙な、例えて言うならリトル・グレイが大まじめな顔で『実は僕は宇宙人なんです』と遮光器土偶型宇宙人に話しかけているところをたまたま目撃してしまった地球人代表のような顔をした。
その表情のまま若干の間硬直していたが、気を取り直して隣の席の男子Aに手紙を渡し、
「藤林から。春原」
「おう」
男子Aもちらりと手紙の中を覗き、
「……?」
やはり不可解なものを見た、という表情で後ろの席の女子Bに手紙を回した。
その現象は女子B、女子C、男子B、といったような順番で教室後方を中心に波及し、経由者とその周辺人員に混乱と大量のデマゴーグと『神は死んだ!』という発狂した哲学者への共感を巻き起こした末に、最終的には春原洋平の席で収束した。
手紙を受け取った春原は、
「委員長から?」
などと呟きながら手紙を広げ、
「……げ」
と呻く。
中に書かれていたのは数字とアルファベットの羅列。暗号である。もちろんの事、ただ単にローマ字に直した程度の暗号ではない。また、いわゆるシーザー暗号でもない。藤林椋謹製、オリジナルの暗号で暗号強度は16bit、本格的な諜報機関の解析によればあっさりと解読されてしまうレベルのものではあるものの、学校内で使用する分にはまず解読される恐れはないという。本当かどうかは春原には分からなかったし、その辺はどうでも良いと思った。
ともかく、暗号文である。
もちろんそのまま読み下すことなど出来るはずもないので、あらかじめ与えられていた(具体的には岡崎朋也と藤林杏がつきあい始めてから二週間後)対応表とにらめっこしながら平文に直す。
内容は簡潔であった。
『(ダミー)朋也君(ダミー)は大丈夫(ダミー)でしたか?(ダミー)』
(ダミー)は、そのまんまダミーデータである。この文字列を挿入しておくことによって、単純な総当たりによる暗号解読を防ごうという目的があるようである。今回の場合、殆どがダミーデータであったようだ。ちなみにこのダミーデータ、いわゆるパリティチェックによるものである。本来ならばデータビットにパリティビットを付加することでエラーを検出する物だが、この場合は意図的にエラーを挿入することでダミーとしている。
春原は自分もルーズリーフに返事を書こう……として、自分がそもそもルーズリーフを持っていないのに気付き、結局、先日配られて机の中に突っ込んであったプリントの裏に返事を書いた。
こちらは平文のままただ一言、
『大丈夫らしい。ただの寝不足だって』
そしてそれを隣の席の女子Eに渡す。先ほどの手紙の経由した順路を遡り、手紙は無事に椋の元へと届いた。
春原の返事は簡潔ではあったものの、日本語で書かれたものであり、すなわち経路となった生徒達が読むことが出来るものであった。この情報はクラスメート達に急速に波及し、教室は一種異様な雰囲気に包まれた。今年赴任してきたばかりの新人女性国語教師(25)がその雰囲気に怯え、教科書の解説をとちったりかんだりチョークを落としたり教壇から足を踏み外したりする程度には異様だった。
「……」
椋は春原からの手紙をさりげない様子でちらりと確認し、それをやはり何気ない様子でファイルにしまった。
そして周囲の好奇と不安の入り交じった視線も注意も意に介さない、といった様子で新しいルーズリーフを取り出し、やはりさらさらと文字を書き付け、
「春原君にお願いします」
「……ん」
ここに来てクラスの緊張感はさらに高まった。皆律儀に手を動かしてノートこそ取っているものの、もはや誰も授業など聞いてはいない。新人女性国語教師(25)、泣きそうである。「じゅ、授業を聞いて下さい……」と言う声すら完璧に無視された。微妙に似合っていない、厚ぼったい眼鏡の奥の目が微妙に潤んでいるようにも見える。が、殆どの生徒はも新人女性国語教師(25)の方など見ても居ない。一部に「ドジっ子眼鏡教師……萌えッ!」とか「泣き顔って良いなぁおい……!」とかハァハァしている男子生徒が見られるだけで、それも今のこの教室ではただのマイノリティにしか過ぎない。
そこかしこでひそひそ声による密談(実は意外と聞こえる上に目立つ)やら手紙による筆談、果てはブロックサインやボディーランゲージによる交信までが行われ、教室中を噂話や目撃談、あるいは関係者による極秘のはずの内部情報など、大量の情報が飛び交った。
その中を椋の発信した手紙は人の手から手へと渡って行き、
「春原君。……藤林さんから」
「うん……」
無事に春原の元へと届いた。手紙はやはり暗号で書かれているために情報の漏洩もなく、この暗号を解読可能なのは学校でも椋と春原だけ、という噂がまことしやかに囁かれたために(また、それは真実である)手紙が途中で行方不明になることもなかった。
内容は気になる。が、椋にも春原にも直接聞くことは出来ない。クラスメートの思惑は完全に一致していた。
自然、暗号を解読する春原に強い注意が向けられる。
(未完)