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村上春樹『1973年のピンボール』を読んだので、なんとなく。
「あなたがSTGから得るものは殆ど何もない。数値に置き換えられたプライドだけだ。失うものは実にいっぱいある。歴代総理大臣の銅像が全部建てられるくらいの100円玉と、取り返す事のできぬ貴重な時間だ。
あなたがSTGの前で孤独な消耗をつづけているあいだに、あるものはエロゲーのテキストを読み続けているかもしれない。またあるものは自分の部屋に閉じこもって画面の向こうの仲間達と横で流しているアニメを眺めながら狩りに励んでいるかもしれない。そして彼らは延期を繰り返すゲームを待ち続ける信者となり、あるいは幸せなニートとなるかもしれない。
しかしSTGはあなたを何処にも連れて行きはしない。GAME OVERの文字を浮かび上がらせるだけだ。GAME OVER、GAME OVER、GAME OVER……、まるでSTGそのものがある永劫性を目指しているようにさえ思える。
永劫性について我々は多くを知らぬ。しかしその影を推し量る事はできる。
STGの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。
もしあなたが自己表現やエゴの拡大や分析を目指せば、あなたは打ち返し弾によって容赦なき報復を受けるだろう。
シューティング・ラブ」