時間というパイ

 関係あるような、関係ないような話を書くときはリンクを張るべきか張るまいかすごく迷います(苦笑
 まぁ、思いついたことを脊髄反射で書き散らしてるだけなんで、色々と勘弁してください。思考実験にすらなってない事も多いのは、見れば一目瞭然でしょうし(ぉ


 さて。
 時間というパイがあります。基本的にそのパイの大きさが変わることはありません、という事にしておきましょう。しておかないと話が先に進まないので。
 このパイは、大きく2つに分けることが出来ます。一つは、"生存に必要な時間"。もう一つは、"生存とは直接の関係はない時間"です。
 "生存に必要な時間"の内容としては、食事、睡眠、生活に必要な金銭を得るための時間、即ち労働などが考えられます。個人差はあるでしょうが、こちらを減らす事は基本的に出来ません。例えば、睡眠時間を削る事は短期的には可能かもしれませんが長期的に見れば不可能でしょう。
 "生存とは直接の関係はない時間"の内容としては、趣味、必要量以上の休息、などがあげられます。直接の関係はない、と限定しているのは、こちらの時間が0でも生存が可能だとは考えられないからです。
 我々の自由に扱う事の出来る時間は、常に後者でしかありません。そしてこの時間には、我々のありとあらゆる趣味の時間が含まれます。音楽を聴くのも、読書をするのも、アニメを見るのも、ネットをブラウジングするのも、他人とコミュニケーションをとるのも、勉強をするのも、寝るのも、とにかくありとあらゆる趣味・遊びの時間はこちらの時間なのです。
 さて。前フリが長くなりましたが。
 これはつまり、自分の作品を読んでもらいたいのならば、それ以外のありとあらゆる娯楽に打ち勝たないとならない、ということです。読み手にとっては、自分の創った物語を読むのも、他の誰かが創った物語を読むのも、時間というパイを消費するという点では同じだからです。マンガでも、小説でも、いえ、物語に触れるという行為だけではなく、そのほかの全ての行為(無為に時間を過ごす、という行為さえ含まれます)についても同じなのです。
 そして、どんな人間にも、『全ての行為を行う』という事は不可能なのです。個人に与えられた時間は、残念ながら無限ではないのですから。
 究極まで単純化した場合、自分の作った物語を読んでくれる、という事は、消費者たる読み手のその時点でアクセス可能な他の全ての行為よりも、自分の作った物語を読むという行為のほうが価値が高い、あるいはより多くの快楽を得ることが出来ると判断した、ということだと考えられます。
 もちろん、現実的にはそこまで単純なものではないでしょう。そのときの精神状態もありますし、金銭というパイの問題もあります(金銭面においては、ネットで公開されている文章は、無料であるという大きなアドバンテージを有しています)。また、それ以外の要因は、まだまだ挙げる事が出来ます。
 余談、脱線が多すぎてそろそろ何が言いたいのか書いてる本人もわからなくなってきました(ぉ えーと、とりあえず言いたい事は、『奪い合う相手がその他の全てである以上、他人の"時間というパイ"を得ることは非常に大変なのだと考えられる』ということで。