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久しぶりに自作のSS倉庫を漁っていたら書きかけの東方SSが出てきたよ。24kbほど書いてまだ序盤という状態でお前何考えてたの感。当然のように未完ですのでお暇な方だけどうぞ。
『桜戦線 -the edge of cherry blossom-』
巫女は縁側に座り、ぼんやりと空を見上げていた。
青く澄んだ空は高い。透明で汚れの少ない空気が空全体を支えている。こんな世界の果てにも、風が吹き、雲が流れる。そんな当然の事を、ふと思う。空に浮かぶ雲、その流れが常よりもゆっくりとしているように感じられるのは、それがとても高いところにある所為か。ひゅう、と北風が吹く。最近はずいぶんと風が冷たくなってきている。気が付けば秋はもう疾うに過ぎ去り、人々は冬支度に余念がない。
こうして無為に空を眺めているのも、また良い物だ。巫女――霊夢はそう思う。
傍には茶。空見をしながら茶を味わう。風流とも言えるかもしれない。が、昨日も一昨日も同じ事をしていたとしたならば、それは単に怠惰の表れであろう。空見ではなく、ただ単にぼうっとしているだけ。手元に引き寄せた湯飲みは、その中身もろともすっかりと冷え切ってしまっている。
ふぅ、と霊夢は息を吐き立ち上がる。頭を傾け、ゴキゴキと首を鳴らす。ずっと同じ体勢をしていたために、身体がすっかりと固まってしまっていたようだ。トントン、と肩を叩き眉を細める。まだ少女と呼ばれる年齢であるというのに、妙に年寄り臭い。
勝手場で湯を沸かし、急須に注いで待つ事しばし。頃合いを見て湯飲みに注ぐ。
色が薄い。出涸らしである。ほぼ無色透明であるといっても良い、水と見紛うかのような薄さ。巫女はそれを見て僅かに眉を顰めたが、そのような事は些細な事である、とでもいうように湯飲みを口元に運んだ。慣れている。いつもこのような薄さの茶――果たしてこれを茶と呼んでも良い物かという疑問は残るが――を口にしているのだろう。
よく見ればその身に纏った鮮やかな紅白の巫女服も、しっかりと洗濯されており清潔でこそあるものの、何処かくたびれている。
赤貧である。あるいは貧乏である。
今時、神社など流行らないのだ。ましてや、その神社が人里離れた山奥にあり交通の便が最悪であるのだから、御参りにやってくる人間などほぼ皆無である。当然、賽銭箱の中身が小銭で潤う事なども無い。いわんや、札も無い。現金収入が無ければ、基本的に嗜好品である茶など購入している余裕はない。
さりとて、それもいつもの事である。生まれた頃よりそうであったので、霊夢はもう慣れていた。溜め息すら吐く事はない。無為自然。悟りの境地である。ただ単に諦めているだけ、とも言う。
風が、再び吹く。けれど巫女服が揺れる事はない。霊夢の身体の回りに張り巡らされた結界、その一つが吹く風を近づけないのだ。風避けの結界。本来は妖物の操る風から己の身を守るための結界だが、今はせいぜいコート程度の役割しか果たしていない。霊無は一つ、欠伸をした。
青空が茜色に染まりはじめる頃、一人の客がやってきた。
古風、と言うよりは古典的といった方が正確であろう格好をした魔女である。黒服に黒いとんがり帽子。極めつけには、箒に乗って空を飛んでやってきた。
神社の上空を猛スピードで駆け抜けたかと思えば、直後に180度ロールしそのまま下方に急降下――180度のループ。俗に言うスピリットSを決め、神社の境内に速度超過で突入。縁側に座っていた霊夢の目の前で超低空コブラを決め――黒衣のスカートが思いっきり捲れ、白いドロワースが丸見えになることなど気にもせずに――無理矢理に減速。轟音と土煙を上げ、その魔女はトン、と境内に降り立った。帽子を押さえながら、ニヤリと笑う。
彼女は片手で軽く帽子を整えながら、
「よう、久しぶりだな、十二代目」
「――どうでも良いのだけれど、もう少し静かに止まれないのかしら?」
「無理だね。猪突猛進は初代の頃からの伝統なのさ」
と、黒衣の魔女――霧雨魔理沙は何故か胸を張って、口の端を上げて笑いながら言った。
「嘘。先代は落ち着いた、もっと優雅な着地をしたわよ」
「そりゃ騙されてるんだ。言っとくが、師匠の機動は私よりヤバイぜ?」
「ふぅん?」
と、いかにも信じていない、という表情で霊夢は茶を啜った。
「む、信じてないな」
「べっつにー。信じてないわけじゃないけど」
「けど? だったら何だい」
「汚れちゃったなぁ、と」
「は?」
「服は埃まみれになっちゃったし、せっかく掃除して集めたゴミは散っちゃったし」
「それダウト。私が来る前から掃除なんかされてなかった――」
「せっかく集めたゴミは散らされちゃったし、ああ、ホントに誰のせいだろう」
「いやだからお前掃除なんかしてなか」
「誰のせいだろう」
「……」
「散らかした人が責任持って掃除をするべきだと思わない? あと洗濯も。ついでに晩御飯の支度も」
「……晩飯は作ってやるから、掃除は明日で良いか? もうだいぶ暗くなってきたし、今から掃除してその後だとしたら、晩飯はだいぶ遅くなるぞ」
「仕方ないわね。じゃぁそれでいいわ」
「お前は何でそんなに偉そうなんだ……」
魔理沙は苦笑しながら言った。そして当然の事として、
「で、食材は何があるんだ?」
「無いわ」
「……は?」
当然のように聞いたのに、当然返ってくるべき答えが返ってこず魔理沙は愕然とした。
「だから、無いの」
「……今日の昼は何を食べたんだ?」
「えーと、水?」
「いやそれは何かを食べたとは言わない。非常用に取っておいた米は?」
「先週食べ尽くした」
「この前貰った味噌は?」
「一昨日に尽きた」
「塩は?」
「昨日の晩に舐め尽くした」
「マジか」
「マジよ」
おうジーザス、と魔理沙は天を仰いだ。飢えに負けて塩を舐め尽くすとか――そんな事が実際にあるとは思ってもみなかった。世界は不思議で満ちているらしい。現実は小説よりも何とやら、という奴か。
「つまりここには、もう何も食材が、いやそれどころか調味料すらない、ということか?」
「ええ。そのとおりよ」
「まったく?」
「ええ」
「なんにも?」
「ええ」
「これっぽっちも?」
「まったく、なんにも、これっぽっちも、無いの」
霊夢は胸を張って頷いた。無意味に――そう、まったくもって無意味に偉そうな態度である。
魔理沙はこめかみを抑えながら訊いた。
「じゃぁ私はどうやって料理を――いや、そもそも何を料理すれば良いんだ?」
「台所はあるわ。炭もあるから火も熾せる。食材は自力で調達してきて」
「マジか」
「うん」
「無駄だとは思うが一応訊いてみるぞ。……金は?」
「そんなもの」
と、巫女は服の袖をひらひらさせて見せた。
「無い袖は振れないわ」
「まったく、なんてこった」
はぁ、と魔理沙は溜め息を吐き天を仰いだ。
「じゃ、私はお風呂に入ってくるから。食事の用意よろしく」
「鬼かお前は」
「巫女よ」
そう言い、霊夢はくるりと身を翻す。
魔理沙は風呂場に向かうその背を、引きつった笑いを浮かべながら黙って見つめていた。
ずずずず、と汁をすする音が食卓を支配していた。
霊夢は味噌汁の椀と飯茶碗を交互に運び、魔理沙は飯の上に味噌汁をかけ、いわゆるねこまんまにしてずるずると胃の中に流し込むようにして食べていた。
二人が食べているのは、根深汁である。
根深汁、と言えば聞こえはよいが、要は単なる葱の味噌汁である。出汁で葱のぶつ切りを煮、味噌を溶き入れれば出来上がる、非常に単純な料理だ。
「ご馳走様」
「お粗末さま、だぜ」
他のおかずは無かった。一汁三菜どころの話ではない。白米と根深汁。それだけの簡素な晩飯であった。が、霊夢は満足げであった。
「美味しかったわ」
「そりゃどうも。空腹は最高の調味料って言うからな。絶食三日目くらいか? お前の場合は特別良く効いたんじゃないか?」
肩をすくめ、巫山戯た様子で返す魔理沙。単に照れているだけである。
「何か隠し味でも入れてあるの? 前に自分で作った時とはだいぶ味が違ったように感じたのだけれど」
「そりゃ企業秘密だ――と言うほどのもんでもない。少し胡麻油を入れただけだ。あとは、味噌かな」
「味噌?」
「自家製さ。けっこう良い奴を使ってるんだぜ?」
「ふぅん」
ちなみに全ての食材――米、葱、味噌、出汁を取るのに使った鰹節――は魔理沙がその自宅から持ってきた物である。博麗神社にあった物で使ったのは、井戸水くらいのものであった。
「ま、美味しかったから他のことはどうでもいいわ。待ってなさい、お茶くらいは出してあげるわ」
立ち上がる霊夢の背に、魔理沙は声をかける。
「出し殻はゴメンだぜ」
「それは困ったわ。後は来客用に取っておいた高いのしかないのだけれど」
「おいおい、私は客じゃないのか?」
「んー、食事を作ってくれて掃除も洗濯もしてくれるから――」
「から?」
「家政婦?」
「……だったら給金くらい寄こせよ。あと材料費」
「だから無い袖は」
「振れないんだよな。全く、なんてこった」
「わかってるじゃない」
と、霊夢は微笑む。半分は旨い飯を食べれた事による純然たる喜び、半分はタダ飯をせしめた事による少々――いや、かなり貧乏くさい喜びである。
まぁ、そんな霊夢の微笑みを見ると、飯の一度や二度を食わせてやるくらいは良いかな、と思ってしまう魔理沙も魔理沙である。この魔女、なんだかんだと人が良い。格好はともかく、性格的にはあまり魔女らしくない魔女である。
台所から霊夢が持ってきたのは昼も使っていた急須であった。流石に中身は入れ替えてある。もっとも、茶葉は来客用の物ではない。茶壷の中に僅かに残っていた最後の葉だ。
「どうぞ」
茶を注いだ湯飲みを霊夢が差し出す。魔理沙はそれを、
「頂くぜ」
といって受け取り、一目見て眉を顰め、
「……出し殻、か?」
「違うわよ」
平然と返し、自分の湯飲みをすする霊夢。魔理沙は疑わしそうな視線で、
「ほんとか? これ、やたらと薄くないか?」
「薄いわね」
「じゃ、やっぱり」
「違うわよ。ちゃんと新しい葉よ」
「じゃ、何で」
霊夢は訊ねる魔理沙から明後日の方へと視線を逸らし、
「……最後だったから」
「は?」
「残ってた最後の葉だったから」
「――それが何で、薄いことに繋がるんだ?」
「だから、最後だったから。あんまり葉が残って無くて」
「……おい、ちょっとその急須見せてみろ」
言いながら、霊夢の手から急須をするりと抜き取る。一種手品のような――あるいは、スリのような技である。この魔女、なにげに手癖が悪い。
「げ、マジか……」
急須の中身を見て、魔理沙は唖然とした。
茶葉が少ない――というより、殆ど入っていないのだ。しかもそれをたっぷりのお湯で出し、二人で分けて飲んでいる。これが薄くならないはずがない。
「おい、霊夢」
「出し殻ではないわよ?」
「何故に壁の方を向いたまま。しかも疑問系」
「嘘は言ってないわ」
「……はいはい」
仕方ないな、と嘆息し魔理沙は茶のようなもの――これを茶と呼ぶのは魔理沙のポリシーに反した――をずず、とすすった。霊夢も自分の湯飲みに口を付ける。
「……」
「……」
お茶風味の湯、という感じであった。というか他に表現の仕様がなかった。
「なぁ」
「何よ」
「これ、本当にお茶と言っていいのか?」
それはお茶というものに対する冒涜ではないのか、とすら思ったりもする。乱れた食文化に対する警鐘である。究極が至高で女将を呼べこのあらいを作ったのは誰だ馬鹿どもに車を与えるな、なのである。
「いいのよ」
「なんで」
「それはもちろん、私がいつも飲んでいるお茶が、これくらいの濃さだから」
「……」
「……」
「なぁ霊夢」
「なに」
魔理沙は霊夢の肩をぽん、と叩きながら沈痛な表情で言った。
「お前――働けよ」
霊無はそれに、失ってしまった過去の思い出に想いを馳せる少女のような、儚げさの中に憂いを含んだ得も言われぬ表情で答えた。
「いい、魔理沙。――巫女が働いたら、負けよ」
「死んでしまえ」
巫女と魔女の間の溝は、マリアナ海溝よりも深いようだった。
――翌日。
掃除を終えた霊夢と魔理沙は街に降りてきていた。
神社から街までは一山越えて徒歩で二時間、空路で半時ほど。勿論、全速で飛び続ければかかる時間はもっと短くなるが、人目を避けるために陸路を行く事が多い。飛んでいくとしても、街外れまでがいいところである。実際の所、空を飛ぶ人間は少なくない。が、普通それは空を飛ぶ乗り物――たとえばエアバイクのような――に乗ってであって、箒に乗って、あるいは自分の力だけで、というのはさすがに皆無である。普通の人間は、当然、空を飛ばないのだ。わざわざ目立つ事をして無用の混乱、トラブルを起こす必要もない。
二人、特に霊夢が街に出ることは殆ど無い。魔理沙は必需品の買い出しやらなにやらで月に何度か降りてくる事があるが、霊夢の場合はほぼ皆無である。自給しているわけでもなければ余所から買うこともない。いったいどうやって生活しているのか。この巫女の生態は謎に満ちている。
「――ここにくるのも、ずいぶんと久しぶりね」
「そうなのか?」
街外れの小道を並んで歩きながら、魔理沙は尋ねる。
「うーん。半年か一年か。それくらいだったかな」
「へぇ」
相変わらずこいつはどうやって生きているんだ、と魔理沙は思う。食料も買わず衣服も買わず。というか茶はどこから仕入れているんだろうか。昨日は空になってたけれど、普段はどこから手に入れているのやら。
魔理沙は自分がかなり霊夢の世話をしていることに気づいていない。しょっちゅう飯の世話をしたり差し入れをしてやったりしているのだ。それが当たり前のことになり過ぎて気づきもしない。そんな風である。幼なじみとは意外とそんな物かもしれない。
角を曲がり、街の中心部に向かう道へ。先ほどまでの小道に比べ、人通りが多くなる。
「人が多いわね」
「いつもこんなもんさ。お前の所の神社とは違うよ」
「へぇ」
「何考えてるか当ててやろうか」
「…………」
無言で促す霊夢。魔理沙はからかうような表情で、
「ここにいる人間のうち、半分でも神社にきたら沢山賽銭入るだろうなぁ、とか思ってるだろ」
「十分の一でも御の字ね。半分きたらウハウハよ。しばらく遊んで暮らせるわ」
魔理沙は肩をすくめる。
「お前はどっちにしろ遊んで暮らしてるだろ。この引きこもり巫女」
「巫女って元々そういう物よ」
「へぇ?」
「あまり俗世と関わらない方がいいのよ。穢れからは距離をとらないといけないって言うのもあるし」
「本当か?」
「さぁ?」
おいおい、と魔理沙は苦笑いする。霊夢は素知らぬ顔。どこまで本気なのか分からない。
まぁそんなものはどっちだっていいさ、と魔理沙は思う。
四条通りにかかる橋を越え、次の角を曲がる。誰が謡っているのか、どこからともなく舟歌が聞こえてくる。いい声だ。魔理沙はそう思う。よく知っている曲だったので、合わせるようにしてハミング。すぐに鼻歌に変わる。隣の霊無は素知らぬ顔。ノリが悪いぜ、とも思うが、さてノリのいい霊夢など想像も付かないな、とすぐに思い直す。ちらりと霊夢の方を見れば、軽く肩をすくめられる。仕方ないので一人で鼻歌を歌いながら、ゆっくりと歩き続ける。
そうしてしばらく行くと、大通りに出た。この街の中央通り。中心に大きな川があり、船が何艘も行き来している。川沿いには露天や屋台が建ち並び、道の両端には様々な店が軒を構えている。天気も良いため、どこも買い物客で賑わっているようだ。物売りの声。子供の声。活気のある街の喧噪。普段、静かなところに隠棲している霊無と魔理沙だが、別にこういう喧しさも嫌いなわけではない。
「ねぇ魔理沙」
霊夢が先を行く魔理沙に声をかける。
「なんだ?」
「どこに行くの?」
「そこの――」
と、言いながら魔理沙は少し先の店を指差す。
「土産物屋」
「土産物屋?」
「おう」
霊夢は怪訝そうな顔をする。
「何を買うの?」
「別に買い物に行くわけじゃない」
「だったら何をしに?」
「売り上げの回収。ちょいと護符というか、お守りみたいなものを置かせて貰ってるもんでね」
「お守り?」
「ああ。学業成就商売繁盛恋愛祈願、幸運金運健康運――まぁそんな感じ」
「へぇ」
と、霊夢は相槌を打つ。僅かに目を細めながら、さり気ない様子で、
「それ、効くの?」
「まさか」
と魔理沙は肩をすくめる。
「効いてたら今頃私が大金持ちさ」
「――たしかにそうよね」
馬鹿なことを聞いてしまった、と霊夢は頭を抑えた。割と本気だったらしい。
一方魔理沙は気楽な顔だ。呆れた様子もない。
「金は天下の回り物……ってね」
「いくら天下で回ってても、ウチに来なけりゃ意味が無いわよ」
「違いない」
と魔理沙は苦笑する。霊夢は憮然とした表情でそっぽを向いた。
「意外と売れてるみたいだな」
件の土産物屋から出てきた魔理沙はホクホク顔だ。お守り一つの値段などたかがしれているし、手数料――要するに場所代だ――を引かれているので、実際の所大した額ではない。が、これも立派な副業の一つだ。塵も積もれば山となる。何より、手間の割には良い現金収入になるので、定職に就いていない魔女としては、割の良い仕事だと言えた。
「羨ましいわね」
「そうか?」
「ウチの神社にもお守りは置いてあるけれど、全然売れないわ」
「そりゃ仕方ない。場所が悪いからな。人がこなけりゃどうやったって売れないさ」
ふん、と霊夢は鼻を鳴らす。
「どうだい、あそこの店――いや、他の店にでも、お前のとこのお守りでも何でも、置かせて貰えるように口を利いてやろうか?」
魔理沙は言う。
「おっと、別に紹介料なんぞ取る気はないぜ? くれるって言うなら断りはしないけどな」
ついこんな一言を付け加えてしまうのは照れているからだろうか。自分で言って照れて、しかも余計な一言を付け足してしまう辺り、やはり損な性分をしている。
「別に良いわ」
「そうか?」
「何処ででも買えたら、有難味がないでしょ」
「へぇ」
「ウチの神社でしか買えないから有難味があるのよ。あと、適切な方法で保存しないと効果が無くなるし」
「そっちは効くのかい」
「当然よ」
ふむ、と魔理沙は頷く。自信満々なので信じてしまいそうになるが、この巫女、大まじめな顔で大嘘を付くような所がある。油断は出来ない。
「――いやまて、つかさ、」
「何かしら?」
「お前の所のお守りが効くんなら、お前も今頃は金持ちなんじゃ」
「ウチの神様はね、」
「ん?」
「金運は扱ってないのよ」
「じゃぁ何に効くんだい?」
「遺失物発見」
「微妙だなオイ」
「発見率67%」
「ますます微妙だ」
「67って素数よね」
「関係ないし」
そうかしら、と霊夢は首を傾げる。
魔理沙は溜め息を吐きながら、
「だいたいだな」
「何かしら?」
「売れるお守りは、金運恋愛運に学業成就と相場が決まってるんだぜ」
「へぇ」
「そっちはダメなのか」
「ウチの神様は偏屈なのよ」
「……そういう問題なのか?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
「もしかすると」
「もしかされても」
「めいびー?」
「英語で言われても」
霊夢はふぅ、と溜め息を吐いて、
「文句が多いわね」
「そう言う問題か?」
魔理沙は呆れた顔だ。
この巫女、商売には根本的に向いていないのだろう。
というか、根本的に生活能力が0だとしか思えない。でなければ家の食糧が尽きているのに買い物にも行かないなどというチャレンジャーな事はしまい。
「ところでさ、」
「何かしら」
「適切な方法で保存してるって言ったけど、どうやって保存してるんだ?」
なにか魔術的な――あるいは、神聖な方法があるのだろうか。と、魔理沙は少し期待する。何かのヒントになるかもしれない。
が、
「その辺に積んであるだけ」
「それが適切なのかオイ」
「適切よ。だって一々しまったりするの面倒じゃない」
「ダメだこいつ」
そんなことは、今更だけれど。
用事が済んだので、買い出しに移行する。
魔理沙の案内で、街の色々なところにある店を、最短ルートで無駄なく回っていく。大通りや小路だけではなく、裏道、抜け道、曲がり道まで。地元の人間でも使わないような、そんな小道まで知り尽くしているかのように――いや、実際知り尽くしているのだろう――歩き続ける。
よくもまぁ、ここまで調べ上げた物だ、と霊夢は半ば呆れたように思う。これだから研究マニアという奴は。どんな些細なことにでも――そう、例えばこんな事にさえも――調査の目を向けないと気が済まないのだ。
「よく知ってるのね」
「そりゃあ、いつも通る道だからな」
イマイチ解答になっていない。が、意図するところは良く分かる。
道なんかは歩ければいい、目的地に着きさえすればいい。別に最短距離を求める必要はないだろう。霊夢はそう思う。
が、この魔法使いはそうは思わないらしい。大量の買い物袋を抱えたまま、鼻歌など歌いながら今も細い路地に分け入っていく。
「色々買うのね」
「まあな」
飲料、食料、消耗品などの生活必需品に、各種薬草や貴金属、卑金属などの実験の材料。いずれも必要不可欠な物だ。
魔理沙は先ほどの収入もあり、また他にも幾つかの収入源を持っているので、それなりにお金を持っているが、霊夢はほぼ無一文である。しかし実際、特に買う必要のある物は(食料を除いて)無いので、ただ単に魔理沙に付き合っているだけだ。魔理沙の入る店にも――激安の食料品店を除いて――興味を引かれることもなく、荷物持ちとして付いて歩いている。端から見ていて、あまり楽しそうな様子ではない。が、別に詰まらなそうでもない。実際、これでも霊夢は結構楽しんでいるのだ。
そんな霊夢が、有る店の傍で眉を顰めた。その視線の先には、人だかり。一所に集まってがやがやと、あるいはざわざわと言葉を交わしあっている。
その様子に気付いた魔理沙が、
「どうした?」
「あれ」
視線の先、人だかりの中央の木を指差す。桜の木だ。満開と言うにはほど遠い――四分咲きか、良いところ五分咲き程度だ――染井吉野が、はらはらとその花びらを散らせている。
「……ああ、なるほど」
一瞥して、魔理沙も頷く。
すぐに気付く。そのおかしさに。その異常に。
「確かに、これは変だ」
「ええ」
頷く。
「だって、今はまだ、二十一月だもの」
「桜の季節には、まだだいぶ早いな」
今はまだ冬である。しかも秋はしばらく前に過ぎ去ったばかりであり、春にはまだ遠い。集まっている人々も、そのおかしさには気付いていた。
しかし、それがどうかしたか、という感である。たかが――と言うには少々どころでないほど異常な出来事ではあるが――季節外れの桜が咲いた、言ってしまえばそれだけのことである。それは不可思議な事でありこそはすれ、別に害をもたらす物ではない。異常事態ではあるが、非常事態ではない。故に危機感、恐れの感情はなく、むしろ珍しい物が見れたと喜ぶ者の方が多かった。
が、そうは感じない二人がここにいる。
「どう思う?」
「さてな。最近季節外れの陽気が続いたのかもしれない。気の早い桜の木が季節を間違えて花を咲かせてしまうくらいの陽気が、な」
肩をすくめて答える魔理沙。
霊夢は眉を顰め、
「――本気で言ってる?」
「まさか」
魔理沙は片目を瞑ってみせる。
「近頃はめっきり寒くなってたからな。陽気が続いていたなんて聞いてないぜ。この場所だけ局地的に温暖化が進んだんでもない限りな」
「つまり――」
霊夢の言葉を引き継ぐように、魔理沙が言う。
「十中八九、妖怪の仕業だな」
「そうね」
と霊夢は頷く。
「ほんの少しだけど、妖気を感じる」
「分かってたのか?」
「妖気を感じるだけよ。それが本当にこれと関係有るのか、あったとしたらどんな妖怪なのか、そこまでは分からない」
なるほど、と魔理沙は頷く。
「昔の文献で読んだ事がある。春を運ぶだったか、伝えるだったか、そんな妖精が居たはずだ。名前は、リリーホワイト」
「そいつの仕業だと?」
「たぶんな」
「根拠は?」
「無い。ただの推論だ。けど、害があるわけでもなく、ただ桜を咲かせる妖怪なんて他にそう多くはないな」
「ふぅん」
霊夢は北東の空を見やった。
「そっちか?」
「なんとなく、だけど。残り香を感じるから」
言って、歩き出す。その背に魔理沙は、
「どうするつもりだ?」
「どう、って?」
「分かるだろ」
「さぁ、ね。分からないわ」
霊夢は振り返らない。
魔理沙は目を細めた。口調が僅かに鋭くなる。
「誤魔化すな」
「誤魔化してなんか、ないわ」
「じゃ、どうするつもりだ」
先ほどよりも、強い口調。
表情を消し、霊夢は謡うように答える。
「定めのままに。為すべき事を為し、為さぬべき事を為さぬ」
おきまりの文句だ。こいつに他の理論はない。使命、定め。それが一体なんだっていうんだ。ふん、と魔理沙は息を吐く。険のある表情。見定めるような視線で、魔理沙は訊く。
「滅ぼすのか?」
「その必要があれば」
霊夢は答える。その表情に迷いは無い。
「敵意を、感じるのか?」
「――感じない」
「害意は?」
「――感じない」
「なら、」
「でも、見過ごすわけにはいかない。例え害意が無くても――いや、害意がないからこそ、厄介な妖怪というのもいる」
「……そこまでか?」
魔理沙は真剣な表情。
ふ、と霊夢は表情を緩める。
「大丈夫よ。たぶん、そんな事にはならないと思う」
「なんでだ?」
「勘よ」
「そっか」
魔理沙は表情を緩め、少しだけ笑みを見せる。緊張は解かない、が、そこまで酷い事にはならないと思えた。霊夢の勘は割と――いや、よく当たる。しかもそれが、事妖怪に関しては驚異的な精度で当たる。未来予測――いや、未来予知もびっくりの精度である。
故に、魔理沙は安心した。
「で、行くのか?」
「行くわ」
「よし」
二人はそっとその場を離れると、買い込んだ荷物を魔理沙の顔見知りの問屋に預け、人気のない路地から飛び立った。
街を抜ける。
同時に高度を上げ、雲の上へ。最も、雲自体は殆ど無い。快晴の空。
「――この方向か?」
「ええ」
魔理沙は愛用の箒に乗っている。
別段、魔理沙は箒に乗らなければ飛べないというわけではない。実際の所、魔理沙は何に乗らずとも己の魔力だけで空を飛ぶことが出来る。しかしそれでも箒に乗り続けているのは彼女の拘りである。魔女は箒で空を飛ぶ。そういうものだと言われているが故に、そういうものだと考えるが故に、魔理沙は箒に乗り続けている。
また、先代の影響もある。彼女も箒で空を飛んだ。拘りであると同時に伝統でもある。伝統と、拘り。それらが生きる事を豊かにしてくれると、割と本気で魔理沙は思っている。拘りのない、効率的なだけの人生などクリープのないコーヒーのような物だ、と先代霧雨魔理沙は常日頃から言っている。ところでクリープって何だろう。言った本人も、きっと良く分かっていない。
一方、霊夢は別段触媒など使わずに、自分の力のみで飛ぶ。何かに乗るという事はない。敢えて言うならば、飛行用に調整した符を数枚用いているが――別にそれがなければ飛べない、というわけではない。符はあくまで補助であり、絶対に必要不可欠な物ではない。
「距離は?」
「結構――遠いわね。日暮れまでには解決して神社に帰りたいわ。飛ばすわよ。遅れないで」
「了解。そっちこそちゃんと付いてこいよ」
言って、二人とも高速飛行の準備にはいる。
魔理沙は懐からガラス玉を取り出した。ガラス玉といっても、ただのガラス玉ではない。魔術的に精製され呪力を付与された護符に近い物である。それらを手にぶつぶつと二言三言呪文を唱え――呪具を起動。ガラス玉が独りでに浮き、魔法陣を形作る。出来上がった陣は六芒星。玉のそれぞれが陣の頂点にあり、魔理沙の力を増幅する呪式を作り上げているのだ。
一方、霊夢も府を数枚取り出していた。結界、風切、加速、対圧、対衝撃。ただひたすら前へ進むための組み合わせだ。印を組み、呪を唱え、手の中の符を風に載せるように、無造作に撒く。撒かれた符は散ることなく、己の意志を持っているかのように一定の距離を置いて霊夢の周囲をふわふわと漂う。
準備は完了した。
魔理沙はちらりと霊夢を見る。
「――行くぜ」
「ええ」
頷き、一拍おいてからどちらともなく加速する。
轟音。
爆発的な加速――即ち、推力。
加速、加速、加速――
風を切り、空気の層を貫き、ただ一直線に突き進んでいく。
それは暴力的な加速だ。二人の体にもそれ相応の負荷がかかる。勿論、呪具や符はその負荷を緩和するためにも使われている。故に、耐えられないほどではない。かといっても普通の人間ならば、いくら負荷を緩和する補助があったとしても、この加速には耐えることは出来ないだろう。
魔女と、巫女。
人にして人ならざる二人、その一端である。
(未完)